認知症という病気

たまたま認知症になっただけ。それでも生ききる。

放尿癖のあるおじいちゃんに学ぶ

 さて、認知症といってもその原因は多岐にわたるというのはご存知の方も多いでしょう。アルツハイマー認知症は有名ですが、レビー小体型、脳血管性、前頭側頭型など原因別に分類されています。

 

 その分類毎に、発出しやすいBPSD(いわゆる問題行動)も異なっています。

 ただ、今回はその辺を細かく書きたいわけではありません。そのうち特徴などもお話しできればと思いますが、まずは認知症患者と接する中での学びをいくつか共有したいと思います。

 

 放尿癖のあるアルツハイマー認知症のおじいちゃんの話です。

 

 重度の認知症のおじいちゃんで、施設にお世話になることになったのですが、入所してからすぐに廊下の突き当りに放尿してしまうことが多くなりました。
 私としては、まぁたかが放尿なのですが、忙しい時に廊下を汚されてしまうとスタッフは大変な思いをするのも事実です。

 

 『何やってるの!』とか『ダメじゃない! 』なんて言ってしまいそうになりますよね。いくら親切で優しい介護員さんでもつらく当たってしまいそうになるものです。

 

 ところが、私はその施設のスタッフの工夫に感激することになりました。

 

 その施設のスタッフたちは話し合って、廊下の突き当りに仏像の写真を貼ったのです。すると、途端におじいちゃんは突き当りに放尿をするのをやめました。

 

 おじいちゃんは元気だったころ、先に亡くなったおばあちゃんの仏壇に毎日線香を上げ、お経を読むこともあったのだそうです。『宗教に熱心なわけではないが、仏壇は特別大切にしていた。』という施設に入所する際にキーパーソンの息子さんからもらった情報を頼りに、ご本人を否定したり行動を制限するのではなく、『なるほど!』と言いたくなる工夫で問題行動を解決しました。

 

 認知症は新皮質の衰え、萎縮が顕著にみられるため、確かに計算が難しくなったり見当識障害があったりするのですが、『仏壇は大切』、『仏像に放尿するなんて罰当たりだ』などという気持ちの部分は残っているのです。

 

 認知症患者を目の前にすると、脳トレが必要だ!と、思う方が多いのではないかと思います。その多くは計算をしたり、図形を描いたりなど、衰えている部分をどうにか活性化しようと試みるものが大半なのではないでしょうか。

 

 それも大切かもしれませんが、本当に大事にしたいのはそこではないと私は思っています。残っている感情の部分に働きかける事こそが認知症患者には重要です。

 

 先に書きました通り、認知症はただボケているということではなく、生活に著しく支障をきたしている状態です。上記のおじいちゃんの話で言えば、『所かまわず放尿してしまう』などがそれに当たります。この問題を解決するのは新皮質への刺激ではなかったということが分かります。

 

 スタッフがアイデアを出し合い、仏像はありがたいもの、大切なものという感情に訴えることで解決ができたのです。薬も使わず、拘束も必要とせず、なんとも平和的な方法です。

 

 たまたまうまくいっただけかも知れませんし、一時的なことなのかも知れません。しかし、私は放尿癖のあるおじいちゃんと、それを見守るスタッフに、治療者としてのあり方を学びました。

 

 

 

 

認知症=ボケなのか

 はじめまして。

 

 私はこれまで10数年認知症患者と向き合ってきました。それこそ、在宅で過ごされている方々や、通所介護、老人ホームや老健で生活されている方々など、症状の進行具合には差があれど、様々な認知症患者と接してきたのです。現在は精神病床を有する病院にて、日々認知症患者様の生活支援をしています。

 

 さて、私が認知症を患った方々と接したのは介護保険が整備されてすぐくらいのことです。以前、認知症と言う名称ではなく、いわゆる物忘れ外来などに通われてきた方々の事は痴呆症と呼称していたのはご存知でしょうか。

 

 痴呆というと、『ボケたじいさん、ばあさんたちのことだろ?』と考える方がほとんどではないかと思います。平たく言えばその通りと言う事になります。では、ブログの最初の記事に認知症=ボケなのかというタイトルを選んだ理由と私の思いを書きたいと思います。(まずは認知症高齢者の話です。)

 

 勘の良い方ならお分かりでしょうが、私は認知症=ボケではないと考えているのです。認知症という疾患には定義があります。厚生労働省の文言を引用しますと、認知症は、脳の病気や障害など様々な原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態をいいます。』とあります。

 

 ポイントは、日常生活全般に支障をきたす状態があって初めて認知症と診断されるという点です。極端に言えば、ボケたなあと思うおじいさん、おばあさんでも生活に支障がなければ認知症とはいわないのです。

 

 表現が適切でないかも分かりませんが、精神科病院に受診に来る患者は、認知症の中でも上位の方々です。認知症が相当に進行しています。そういった方々はなぜ受診し、入院を希望されるのでしょうか。

 

 物忘れがひどいからでも、計算ができないからでもありません。暴力・暴言、排泄問題(弄便)や徘徊、妄想などの症状により、生活に著しく支障をきたしているからです。このような症状をBPSDと呼びます。

 

 病院にたどり着くまでに、家族や周りの方々は相当にご苦労を重ねてきたのだと思います。他人の事は許せても、家族の事となると目をつぶれないというのはよく言われていることです。

 

 認知症はなりたくない病気の中でも相当上位にランクインするでしょう。一度患ってしまえば、現在の医学では完治が難しい(ほぼ不可能です)悪性疾患です。

 肺癌になるからタバコを止めろと言われても止めない方がほとんどでしょうが、認知症になるぞと言われた途端に禁煙を考える方がいるでしょう。その辺は本当かはデータが足りませんが…。

 

 私は、前述したBPSDを和らげ、ただのボケたおじいさん、おばあさんに戻してあげることが出来れば、認知症を患っても生ききることが出来ると考えています。

 認知症患者と向き合ってきた経験と、今も向き合っていて感じることを共有することで、少しでも気持ちが楽になったり、前向きになれたりする方がいれば嬉しいです。

 

 ちょっとずつ書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。